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「一切森羅が衆生であり、皆が食を通して仏である」
今日の世情では、食に対しての関心が高まりつつある。現代人は「豊かさに忘れていた何か」に気づく度に、さまざまな問題の答えを食に求めているような感がある。宗門に於いては、道元禅師様が『典座教訓』『赴粥飯法』を記され、単に食事を為すという行為に留まらない、修行の肝要を隈なくお示しになっている。
今回は、その食を透とおしてみえる心に加え、僧侶観までを、滋賀県で精進料理を中心にご活躍の、月心寺庵主村瀬明道尼に伺った。
現今の暖衣飽食の時代に、村瀬明道尼のことばは、我われにどのように響くであろうか…。
(聞き手 「菜食健美」主筆 白澤雪俊師)
「僧侶として、今想うこと…」
第二次世界大戦の時代に入る中、仏弟子としての意識は、たいへん矛盾を感じました。仏教徒であるのに、国法を重んずるのか、仏法を重んずるのか、どちらを重んずるのかという悩みでした。その時、我々は戒律を厳しく守ると、約束したはずなのにと、得度時の想いに心を馳せました。その後、戦争が終わり、生活が国法に縛られることなく、仏法を基盤とすることに何の遠慮もなく、過ごすことができています。今日まで、さまざまな経験を通して、尼僧として生かされてきて、また精進料理を作ることで修行させていただいています。そして、お経を唱えて、お布施をいただけるということは、本当にありがたいことであると思います。その反面、それだけの値が自分にあるかどうかだと思います。例えるならば、涙を流すほどの心境にする読経であるか? その意識が、継続しなければならないと思います。
余談になりますが、曹洞宗では偈文・回向文の読み方等、たいへん親切に読み下されていると思います。しかし、更に読み下すのはどうなのでしょう。お伽話のようにするのは、本旨が伝わらなくなると思うのであります。また、苦しみ、悲しみを同じく、と考える気持ちを持つより、余計なことを言うのではなく、かえって放っておくことが必要なときもあるでしょう。自分でなければ解決できないのでありますから。その解決できない苦しみがあるから、お釈迦様が説かれた沢山の教え、経典が残されたのでしょう。人は生きたいと思っても生きられない、死にたいと思っても死にきれないものだと考えています。
「僧も調理も、同じく無心であることを要する」
私は、三十九歳の時に右半身不随になる事故に遭いました。その時、その不自由さの中から、無駄の無いようにすることが一つの課題になりました。生活の中に、無駄の無いように生きるということは、たいへん難しいことではあります。しかし、その無駄の無さが、料理にも生活にも現れると思います。また、完全に無駄が無くなることもありません。現に毎日料理の味は違っています。例えるなら、焼き物の焦げ差加減がありますが、それはそのままの味が自分の鏡であると考えます。
日頃私は、料理をいただきに来てくださる方がたに、食に対しての言葉は一切喋りません。何故なら、そのお出しする料理に現れていると思いますし、何かを訴えようという意識もしていません。しかし、その料理に使われている食材には、すべてに命があるということは申し上げております。肉を食べたから不殺生戒を破戒するとは思っておりません。なぜなら、精進料理においても、草や根菜にも命があり、その命をいただき、成仏させていると考えています。すべて仏との出会いであるので、大事にしなければならないと思っております。そして、料理は無心であるということ。上手に作ろうとか美味しく作ろうとは、意識しないことであります。盛りつけも料理ですが、型にはとらわれないよう遊び心が必要でありましょう。言い換えれば、それは無造作であると思います。無造作とは無神経とは違い、もの凄く神経を注いだ先にあるものであると思います。個々の食材の違う味を引き出すことが、料理であると考えています。また、食事をいただく時に合掌するのは、陰陽合体であり、自分がこの世に生を受けているのは、母と父のおかげであるという感謝のかたちです。合掌が総ての根元であり、天地自然に感謝を捧げ、自分の生きている証と考えています。その形から入らないと仕方がないと思います。威儀即仏法ですから。
「青年僧へ…」
お互いに、その時その時は精一杯に生きていると思いますが、十年たって、あの時はまだ至らなかったと思い、気が付くことを年の功といいます。若いときは、思いっきり羽目を外すことです。若いから冒険できるので、それ相応の年になると世間の目がそうはさせないのですから…。せっかくの青春ですから「あいつは大丈夫か、どんなになるんやろう?」と思われるぐらいで良いと思います。ほっといたら、どんなことでもしたいと思うのが青春だと思います。そうすると、五十歳位になると、何を話しても面白い坊さんになるのではないでしょうか。「あれだったらやりそうだな」とか、「あれはどっちがほんまもんだろう?」と、幅をもつことが必要だと思います。
また、この頃の坊さんはおとなしすぎるのではないでしょうか。おとなしくても何も出てこないでしょう。人の噂は七十五日といいますから、自己に正直に生きることです。思ったことを突き進むことです。道元禅師様が、越前の山奥に入られたということはたいへんな決断だったと思います。身の危険を感じながらも、自己に正直に生き、仏法に正直に生きられたこと。そのような想いを鑑みると、残された我われが何をすべきかが、みえてくると思います。
最後に、これからの尼僧は大きな決断をしていかなければならない、ということを言っておきたいです。声なき声を、明確な意思の伴った声として発言していけば、小さな動きが、後には大きな力となっていくと信じています。
◇瑞米山 月心寺
ここ月心寺には、本堂はなく、ご本尊様である「童形聖徳太子像」は、書院に祀られており、小野小町が祀られる百歳堂・薬師如来堂・水神様を庭の中腹に祀っている。六〇〇年ほど前に同朋衆と呼ばれた、相阿弥の作と伝えられる、美しい庭と放生池の姿が、どのような悩みを持つ人間をも包み込むような、慈愛に満ちた場所であった。村瀬尼が「女人の持つ優しい想いが込められている庭と聞いています」と、仰っていたように、どのような人にも、手を差し伸べ一歩前進して迎える姿がそこにはあった。まるで、慈母観音の情景が似合うと感じられた空間であった。
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