物語


 
 10年前、本山での厳しい修行期間を終えた河口智賢(僧名・チケン)と兄弟子の倉島隆行(僧名・リュウギョウ)は、自らの生まれた寺へとそれぞれ戻っていった。

 富士山の裾野に広がる山梨県都留市、耕雲院。智賢は住職である父と、母、妻、そして重度の食物アレルギーを抱える三歳の息子と共に暮らしている。全国曹洞宗青年会副会長としての顔も持ち、いのちの電話相談、精進料理教室やヨガ坐禅など、自分なりに今の時代に合った仏教というものを模索し意欲的な活動を続けている。修行時代に精進料理を任される役職“典座”だった智賢は、かつて自分自身もアレルギーに苦しめられ、それが本山の修行によって完治したという経験から高度に発展したこの現代社会にこそ仏教の教え、その中でもとりわけ日常全ての人間が行う“食”に関する問題が大切なのではないかと考えていた。「一体どうしたら多くの人々にそのことを伝えることができるだろう?そうだ。映画をつくってみたらどうだろうか?」たまたま従兄弟が映画監督をしていたこともあって、智賢は“典座”についての映画を青年会で製作することを思いついたのだった。

 一方の兄弟子・隆行は福島県沿岸部にあったかつての自身のお寺も、家族も檀家も、すべてを東北大震災の時の津波によって流されてしまっていた。今では瓦礫撤去の作業員として軽トラックを走らせながらひとり仮設住宅に住んでいる。そんな隆行のことを人知れず心配している青年会の近藤は、山梨の智賢から届いたいのちの電話相談の携帯電話を隆行にも託そうとするが「俺、いま土建屋だから」と断られてしまう。年間3万人にものぼる自殺者を抱える現代日本。その日もいのちの電話相談には睡眠薬を飲み過ぎた女性からの電話がかかってくるのだった。そんなある晩、智賢の息子の智優が食物アレルギーによるアナフィラキシーショックで救急病院に運ばれてしまう…